京極夏彦 「姑獲鳥の夏」

 量子力学という学問があるそうだ。見ていないところでは、世界の様相は果たしてどうなっているのか解らないらしい。
 ならば、この塀の中はどうだ。何もないのではないか。いや、この道の先はどうだ。
 私は急に足元の地面が柔らかくなったような錯覚を覚えた。
 足が縺れる。足元の空気がねばねばとして地面との境が能く解らない。
 そう、暗いので足元が能く見えないのだ。
――見えないのだからどうなっているのか解らないのだ。
――どうなっていてもおかしくないのだ。
 私の背後の暗闇に、下半身を血に染めたうぶめが立っていたって、おかしいということはないのだ。

 立っているのではないか?


姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)

姑獲鳥の夏 (講談社ノベルス)

僕の乏しい読書経験の中ではかなり長い小説だった。最初は「こんなに読んでるのに全然進まねぇ!」とページ数ばかり気にしておりました。さて、クソ長いという感想は本を見たときも読み終わった今もそう変わってはいませんが、話自体は非常に理路整然としていて、極めて論理的な会話が続くので読みにくくはなかったです。
ただ、やはりミステリというのは疲れるな、と久しぶりに読んで感じました。事件の発生から状況の説明まで溜まりに溜まったストレスを解決編で爆発させるのだけど、その解決を理解するのにもしっかり頭を働かせていないといけない。特に僕のような読書のペースが遅い人間にとっては、前半の伏線を忘れる前にとにかく急いで読まないと忘れてしまうので、困ったものです。今回はじめて京極夏彦を読んでみて、なるほど京極夏彦という人はつまらない話を書く人ではないらしい。しかしこの「姑獲鳥の夏」は京極作品の中では至極『薄い』本であるらしい。次の作を読むにはさらなる体力が必要になりそうで、先が思いやられます。
僕は普段ここまで長い文章は書きません、というか書けません。ですが今はものの3分程度でこれを書いています、これもこの本の分厚さに感化されてのことでしょうか。だとしたら、長文が書けなくて悩んでいるときにはしこたま長い小説を一気に読むのがいいのかもしれません。