ジャック・ケッチャム 「隣の家の少女」

いまわたしは、メグが美人でも、若くて強くて健康な肉体の持ち主でもなく、ぶすで、でぶで、締まりのないからだをしていたら事態は変わっていたのではないだろうか、と思っている。そうではない可能性もある。けっきょくは同じことが起きていたかもしれない、必然的な、よそ者にたいする虐待だったのかもしれない。
しかし、ルースやそのほかのみんながメグにあんなことをしたのは、まさしく彼女が美しくて強かったから、そしてわたしたちがそうではなかったからだったように思える。あの美しさにたいする一種の審判だったように。それがわたしたちにおよぼした意味、あるいはおよぼされなかった意味にたいする裁きだったように。

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

隣の家の少女 (扶桑社ミステリー)

私は漫画や小説などを読んで、わくわくしたり、恐怖したり、何らかの突き抜けた感情が自分の中に起こった場合に「面白かった」という言葉を使うのですが、この作品については、あらかじめこういう前置きで断っておかないと大きな誤解を生みそうなので一応書きました。それを前提にしつつ、本書は『面白かった』です。
本書との最高に最悪な出会い方は、前評判を全く知らず、書店でも何の帯も付けられていない状態で購入、または借りて読むのがよいと思います。というのも、中盤以降の内容と比べて始まりの爽やかさといったらありません。最初の30ページほどを読んだだけでは、後半の展開など想像もできないでしょう。中盤から後半にいたるまでの線形な「エスカレート」の仕方がひどく、また本書は大変文章が読みやすいのがまたむかつきます。内容はヘドが出るほどひどいのに、文章が読者を吸引してくるのです。しかし最後まで読み切った今でも、私はこの本を『ジュブナイル』という位置づけだと思っています。本書のラストシーンにあたる部分は、状況を全て忘れ去ってやりとりだけに焦点をあてるとこの上ないジュブナイルです。
ここには糞のようなジュブナイルがあります。私は誰にもこの本を勧めません。自分の意志で手を伸ばし、地獄を体験してください。