スタニスワフ・レム 「完全な真空」

著者は第二部で、蓋然論を拠り所とする未来の予知が無益であると公言する。歴史には、確率論の立場からすれば到底あり得そうもない事実以外、いかなる事実も含まれていないのだということを証明しようとするのである。コウスカ教授は二十世紀初頭のある架空の未来学者を想定し、当時入手できる限りのあらゆる知識を与えた後、この人物に一連の質問を課する。それはたとえば次のようなものである。「お前には起こりそうなことに思えるだろうか、まもなく銀色の、鉛に似た金属が発見され、その金属で作った二つの半球を簡単な手の操作ひとつで合体し、大きなオレンジのようなものをこしらえれば、地球上の生命を破滅させることも可能なのだということが?お前にはあり得そうなことに思えるだろうか、ここにある、ベンツ氏がごとごと音を立てる一馬力半のエンジンを取り付けた古ぼけた馬車が、まもなくどんどん数を増していき、モーターの窒息性の煙や排気ガスのせいで大都市では昼が夜に変り、またドライブの終わったあとでその乗り物をどこかに停めるという問題が、強大を誇る主要都市を悩ます一大災禍と化してしまうのだということが?お前には起こりそうなことに思えるだろうか、花火と反動力の原理によってまもなく人間が月面を散歩するようになり、しかもその散歩を同時に地球上の他の数億の人間が自宅で見ることができるようになるのだということが?お前にはあり得そうなことに思えるだろうか、まもなく人工の天体を造ることが可能になり、それに備えつけた装置によって空宙空間から野外や町の路上の一人ひとりの人間の動きを追跡することもできるようになるということが?お前は起こりそうだと思うだろうか、お前より上手にチェスを指し、作曲し、一つの言葉から別の言葉に翻訳し、世界中の計算家や会計士や簿記係が全部束になって一生かかってもし尽くせないような計算を数分でやってのけるような機械ができるだろうということが?お前にはあり得そうなことに思えるだろうか、やがてヨーロッパの中央部に巨大な工場が出現し、その炉では生きた人間が焼かれ、しかもその不幸な人々の数が数百万を越えるのだということが?」
明らかに――とコウスカ教授は述べる――一九〇〇年においてこうしたすべての事件にほんのわずかでも信憑性を認める者は、狂人しかいなかったであろう。ところがすべては起こったのだ。従って、こうしたあり得そうもないことが生じた以上、なぜ今になって突然、この秩序が急激な変更をこうむらなければならず、今後はもはや、信憑性があり、起こりそうで、あり得そうに思えることしか実現しないということになるのだろう?未来を予言するのは勝手だが――と彼は未来学者たちに呼びかける――その予言の拠り所を最大の可能性の計算に置くことだけはやめてほしい……。
(生の不可能性について/予知の不可能性について)


完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

完全な真空 (文学の冒険シリーズ)

完全な真空
ロビンソン物語
ギガメシュ
性爆発
親衛隊少将ルイ十六世
とどのつまりは何も無し
逆黙示録
白痴
あなたにも本が作れます
イサカのオデュッセウス
てめえ
ビーイング株式会社
誤謬としての文化
正の不可能性について/予知の不可能性について
我は僕ならずや
新しい宇宙創造説

難易度 ★★★★★★★☆☆☆
翻訳 ★★★★★★★★★★
総合 ★★★★★★★★★☆

初めてスタニスワフ・レムの作品を読みましたが、もうわけわかんなくて最高ですね!
本書は存在しない本の書評集、という形をとった短編集。ですが、いきなり「完全な真空」の書評から始まってしまいます。ここで既に、「じゃあ俺が今読んでるのはなんなの?」という混乱に襲われました。ここで、この本が言われそうなある程度の批評・分析を自分でしてしまっているのです、しかも一番先頭に置かれているので、読者がまだその話を読む前に。かなりきつい先制攻撃となりました。
続く「ロビンソン物語」を読んでいて、本書の翻訳が本当にすごい、ということを認めざるを得なくなりました。「試しに三本足の『怪物』から頭と尾(?)を切り取ってしまうなどという案も、ここから生じて来る。つまり、『カイブツ』から『カ』と『ツ』を取り去れば、残るのは『イブ』だけとなるのだ。その際、このイブに対してアダムとなるのは、もちろん、ロビンソンである。」という文章、一体何を訳せばこんな文が産まれるのでしょうか。
さて、「ロビンソン物語」から「ビーイング株式会社」までは、20ページ程度の短編が続き、様々なジャンル、というか種類の話が現れます。少し文章が堅苦しく(書評だからでしょうか)、読むのに集中力が必要なので、読み始めたら最後まで通しました。途中でやめると頭の中で頑張って作った積み木が崩れてしまう、そんな難しさがありました。実にうまく要約してい(るように書いてい)て、どれも書評された本自体を読みたいとは全然思わないところが面白かったですね。
しかし、「誤謬としての文化」から先の4編はいささか趣が異なるように思います。というのも、これらが今までのものよりまず分量が長く、そして話がとっても難しい。内容も世界全体の構造に関わるような壮大な話。特に最後の「新しい宇宙創造説」は50ページ近くあるもので、作者のSF作家としての本領発揮といったところでしょうか。レムの「ソラリス」も大変興味があるのですが、この調子で長編が続くのであれば読みきる自信が全くない、そのぐらいの密度がありました。密度が濃すぎて、正直この本の前半ってどんな話があったっけ?って忘れるぐらいです。
というわけで僕は10日ほどで本書を読み終えました。難しい難しいと言いながら、読書スピードが遅いぼくとしてはかなりさくさく読めました、やはり内容が面白かったですね。上に書いた引用の文章が面白いと思った方にはおすすめできると思います。


最後に、読みながらTwitterに書いていた数編についての感想も載せておきます。

とどのつまりは何も無し

否定が暗黙的に物語を形作っていく、という構造自体がこの短編集を模している。つまり、書評によって輪郭が見える架空の小説である

逆黙示録

あらゆる芸術を生み出すものは隔離し、また金銭を生みそうなアイディアを考え出したものは罰せられるという世界を提唱した本、という架空の本を詳論した話。10ページもないけど難しい。これが小説なのか啓蒙書の一文なのか読んでてわけわからなくなった。

誤謬としての文化

架空書評集「完全な真空」をこれまで読んできて、一番難しい内容。「文化」というのは、人間にとって不都合なことを尤もらしく説明するための詭弁で、科学がその不都合をとりされるようになった現代は、文化を捨てるべきだとする主張。

我は僕ならずや

コンピュータの中で仮想的な世界を作り、その中で生まれたパーソノイド(人工知能みたいなもの)たちが神の存在について議論したものを記録した、という架空の本の書評。コンピュータを動かしている人間がこの場合神になるが、パーソノイドは論理的に神の不在を述べる。

新しい宇宙創造説

この宇宙の物理は、実は数十億年前に人類とは全然違う文明が作ったもので・・・という仮説から始まる、大胆な宇宙モデルの話。「完全な真空」中一番長く、50ページ近くある、読むのが大変。今まで読んできた中で一番のハードSF。