ジャック・ケッチャム「襲撃者の夜」

 テレビから声が聞こえていたが、だれかが蹴り壊した。電気に由来する煙の、なじみ深い鼻をつく匂いに記憶を刺激されて、もうちょっとで自分がだれでここがどこなのか、そして麻酔をかけられて夢を見ている自分をいま手術している、むきだしの乳房を血で染めているこの女医がだれなのかを思いだしそうになった。
 女医が自分のシャツを開いたことは覚えていなかったが、悪いところを切るために開いたにちがいなかった。なにしろ、いま女医は、メスで彼の鎖骨から胸骨を通って腹部まで、細く赤い線を描いているのだから。メスが肉を裂くかすかな音も聞こえていた。
 麻酔はよく効いていた。ちらつく目を下に向けると、沸きあがっている血の薄膜を通して自分の内臓が見えた。肺と心臓、それらの下の横隔膜、胃、肝臓。
 それでも痛みはなかった。
 感じるのは、鎖骨のあたりのむずがゆさと、背の高いグラスにはいったクラッシュアイス入りサマードリンクを飲んだときの、体のどこを通っているかわかるほどの冷たさに似た、奇妙な冷感だけだった。
 心臓が悪くて移植手術を受けているにちがいなかった。というのも、女性外科医はゆっくりと手をのばして心臓をとりだしたからだ。心臓はまだ力強く脈打っていた……そして夢のなかで彼は、ありえない光景を目にした。女医が心臓を口もとに持っていってがぶりと噛みつき、ふたりの助手も彼の体のなかに手をつっこみ、汚い指でかきまわして肝臓をひっぱりだしたのだ。
 麻酔がひきおこした悪夢のなか、彼は女医がくちゃくちゃと噛むさまをながめた。
 彼はコンピュータの――なにも映っていない――画面に視線をもどしたが、それはもうコンピュータ画面ではなく、心電図だった。信じられないほど静かでまったく反応がなかったので、彼は自分が死んだことをさとった。

襲撃者の夜 (扶桑社ミステリー)

襲撃者の夜 (扶桑社ミステリー)

グロテスク度 ★★★★☆☆☆☆☆☆
アメリカの田舎度 ★★★★★★★★★☆
総合 ★★★★★☆☆☆☆☆


ケッチャムのデビュー作「オフシーズン」の続編。で、それを私は知らなかったので、「オフシーズン」は読んでいないにも関わらずこれを購入してしまったのでした。原題の「Offspring」はまだタイトルを踏襲しているので気づきそうなものですが、「襲撃者の夜」とされてしまうともうわかりません。
ケッチャム作品は「隣の家の少女」に続いて2冊目の読書体験となりました。今作の主題は野生の食人族。前作「オフシーズン」ではその食人族と、それに襲われる人々との抗争が描かれており、「オフシーズン」では食人族が全滅させられた、かに見えたのですが実は生き残りがいて・・・という筋書き。
現代に置いて「生きる」ということはどのようなことを指すでしょうか。いい会社に入ってお金を稼ぎたい、好きな人と結婚して家庭を持ちたい、遊んで暮らしたい、何か意味のあるものを世の中に残したい・・・人により「生きる」ということの目的は様々でしょう。しかし、「生きる」ためにそもそも必要なことはなんでしょうか?食べる・種を残す・殺されない・・・野生では何よりも優先され、そして現代ではすっかり忘れ去られてしまったものです。しかし、現在の生活を丸ごと剥ぎ取られいきなりこれらと直面しなければいけなくなったとしたら・・・?本書ではそんな恐怖を描いています。
グロテスクな描写は数多くありますが、平山夢明田中哲弥が大好きな私にとっては少し物足りなかったかなという印象。しかしこういうジャンルに耐性のない方にとっては猛毒レベルとなるかもしれません。